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咢が王様なパラレル小説です。 1 2 3 4 5 6

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 亜紀人には、幼い頃から王の影武者としての特殊な教育が課せられていた。物心ついた事から、自分がまっとうな人間でない事は理解していた。名前も持たず、駒としての価値しかない自分。過酷な訓練の数々。それでも、公の場で笑顔を絶やす事は許されない。陰では泣いてばかりだった小さな亜紀人に、ある日Mr.SANOがこう言った。
『ご自分の立場に誇りを持って下さい、“王”。あなたの役目は間接的に王を守る事ですが、ひいてはこの国を、この国の歴史を守っているのです』
 亜紀人は、涙に濡れた目で、片膝を付いて自分の手を握る青年を見下ろした。眼鏡の奧の切れ長の目は、任務中のようなきつい光を放ってはおらず、口元はゆるく弧を描いていた。
『あなたの命は、王の為のものですーですから、』
 ひっく、としゃくりあげた声は、長い人差し指で封じ込められた。
『あなたの事は我々が命にかえても守ります。ですから、どうかー』


 そんなに泣かないで下さい。ブサイクな顔になってしまっては、明日の公務に差し支えます。
 真面目な声でそんな事を言われて、亜紀人は思わず吹き出してしまった。 


「ホント、いい人だよね」
 布団の上で、膝を抱えて前後にゆらゆら揺れながら、亜紀人はしみじみと言った。交代で風呂に入った後なので、エアコンをつけている。寝そべって肩肘をついた姿勢で亜紀人の話を聞いていた王は、ごろん、と体を反転させて仰向けになり、ぼそっと呟いた。
「あいつ、仕事できるからな。ホモだけど」
「あ、やっぱそうなんだ」
「知ってたのか?」
「そんな感じがしてた」
「お前みてェなガキはタイプじゃねえから、安心しろ、俺」
「安心って、何」
 不思議な人だった。友達でも、家族でも、本当の意味では亜紀人の“従者”ではない。
 彼は亜紀人の数少ない“味方”だった。
「ねぇ、彼はどうして、君の方にいなかったのかなぁ?」
 亜紀人の公務には必ず彼が帯同した。亜紀人の知らない裏の政務で忙しくしていたようだが、それでも一年の半分以上は亜紀人と一緒に過ごしていた。亜紀人が今まで生き延びる事が出来たのも、彼の見えない努力の賜物に違いない。
 これだけの人物なら、本来の“主”の側近であってもおかしくないはずだ。
「ハ?できるヤツだから、俺の側に置いといたんじゃ勿体ねぇだろが」
「………」
「実際、表に出てたのはお前の方だからな」
「それはでも、代理で、」
「俺。てめェは自分の事を、いつ野垂れ死んでもいい存在だと思ってたかも知れねぇがな、そりゃァ俺の方なんだよ」
「お、思ってないけど…」
「…も、どーだっていいけどな…おい、ノド、乾いた」
「……」
「早くなんか出せよ、気の効かねぇ野郎だな」
「…ちょっと、まってて」


 布団から起き上がり、冷蔵庫のドアに手をかけた亜紀人は、そこでやっと自分もずいぶん喉が渇いていた事に気付いた。夢中で喋っていたから。自分の思い出を、語れる人がいるのは嬉しい事だった。
 君は、どうしてたの。
 聞きたい事が沢山ある。しかし、聞いてもいいのだろうか。

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『本日より、私どもが身の回りのお世話をさせていただきます』
『何なりと、お申し付け下ささいませ』
 スタイルの良い美少女と、ハスキーな声のおさげの少女。二人の乙女が亜紀人専属のメイドとして屋敷に寄越されたのは、ちょうど二年前の事だった。初対面の日、そう畏まって挨拶した彼女達は、堪えきれないというように同じタイミングで吹き出した。
『ちょ、絵美理ってば、不敬だって!』
『ゴメンゴメン。だってさ、こーゆーのガラじゃないしぃ』
 これまで、同年代の女の子とまともに会話する事など殆ど無かった亜紀人はガチガチになって顔合わせに臨んだのだが、屈託の無い明るい笑い声の二重奏に、緊張は消し飛ばされてしまった。
『Mr.SANOに、友達として付き合ってくれって、言われたんだ。無茶振りだよね』
 おさげの少女が、亜紀人に合わせて背を屈めてそういって微笑むと、絵美理と呼ばれた方の娘は、亜紀人の手を握ってぶんぶん振り回した。
『そーゆー訳だから、よろしくね王サマ』
 自分と変わらない歳の、幼すぎる少女達の雇用はそういう理由か。亜紀人は、笑顔でよろしくと返した。


『王サマ、マスタードとケチャップ、ソースどっちが良い?』
マスタードって、そんなにカラシつけたら辛いんじゃないの?』
『色がマスタードなだけで、マスタード100%じゃないから大丈夫だよ』
『へっへー、いま100円セールだからいっぱい買っちゃった!ひとりフタパック〜』
『太るし!』
『そしたらまた、走るし!』
『ひゃ…何でそんなに安いの!ホントに鶏のお肉…?』
『ネズミだったりして〜』
『ミミズだったりしてぇ〜』
『もー、二人の馬鹿ー!』
 二人は、屋敷の敷地内にある離れに部屋を与えられ、住み込みで亜紀人に仕えた。メイドと言っても、仕事は亜紀人の身支度や食事の世話、部屋の掃除と言ったごく間単なものばかり。日中は亜紀人と一緒に家庭教師について勉強し、運動も行った。週に一度、交代で休みをとって東京郊外にある実家に帰ったり、町に買い物に行ったりする。その際に、必ず何かしら亜紀人にお土産を持って帰るのだ。
 本来、亜紀人は勝手に用意された以外のものを食べてはいけなかった、ましてやジャンクフードなど。しかし、いくら彼女達が周到であろうと、バレていなかったはずはない。Mr.SANOはじめSPの面々、そのほか亜紀人の生活のすべてを支えてくれていた人達みんな、きっと、三人のささやかな宴をいつも見逃していてくれたのだろう。退職後の交流は漏洩を防ぐ為に厳しく禁じられているので、友達のように仲の良かった彼女達とも、今では連絡を取ることはかなわない。屋敷でひっそりと行われたお別れ会では、二人とも泣いてくれた。亜紀人はその倍ほど泣いた。最後に亜紀人の好きなものばかりを作ってくれたシェフ、護身術を教えてくれた若い先生、かかりつけの女医。新しい人生が始まっても、忘れる事などできはしない。
「ゴメン、僕の事ばかり喋っちゃって…!」
「…いや、」
 亜紀人が思わず夢中になって喋っている間、ハンバーガーとポテトを食べ終えた若き王は黙ってその話を聞いていた。
「いいから続けろよ」
「でも…」
「くだらねぇ話だが、暇つぶしには、なる」
「く、くだ……そう?」
「ああ」
「もっと、聞く?」
「適当に喋れ。ダルくなったら寝る」
「何ソレ。…えっと、えっと、ね…」


 亜紀人の話は、アギトにとっては実に馬鹿馬鹿しい事ばかりだった。屋敷の庭でネコが子供を産んだだの、中国語の先生がレッスンの後にくれるチョコレートが楽しみだっただの。仮にも王の代理として公務を努めていた身だ、もっと話るべき事はいくらでもあるだろうに。
 そんなとりとめのない話をぼんやり聞きながら、若き王は安堵していた。
 ああ、よかった。
 辛い事ばかりではなかったのだ。
 苦しい思いだけをさせていたわけでは、なかった。